「てんしき」は 落語の演目のひとつである。
寄席に貼り出されるネタ帳などでは漢字で「転失気」と書かれる。
あらすじを書くと長くなるので書かないことにするが、簡単に説明すると次のような話である。
落語「てんしき」
和尚が医者から「てんしき」という知らない言葉を聞いたが知ったかぶりをしてその場を過ごし寺の小僧に調べさせる。小僧は医者から本当の意味(てんしき=おなら)を教えてもらうが和尚には「てんしき」が「盃」であると嘘を教える。後日、和尚が往診に来た医者に「てんしきがあった」と話し恥をかく。
知ったかぶりはするものではない。という教訓を題材とした話。
「てんしき」とは
漢字で「転失気」と書くことは上述したが、これは「傷寒論」という古い中国の医学書に乗っている言葉らしい。
それによると「失気」は「おなら(屁)」のことで、「転失気」はおなら(ガス)が出ずにおなかの中で溜まる状態のことらしい。「屁かえり」とも言うとか。
落語の話の中では「てんしき(転失気)」=「おなら(屁)」となっているので正確ではないようである。
もっとも、落語に正確性を求める必要はない。話の中でそれらしい説明がされていて聞き手がなんとなしに理解すれば十分である。
「てんしき」のオチ
落語は話者の言い回しやその仕草を楽しむ芸能なので、話のオチだけ聞いても面白いものではない。逆に言えば、話を聞かずにあらすじとオチだけを知ってネタバレしたとても楽しむことができる。と、いうことで「てんしき」のオチについて書くことにする。
「てんしき」のオチは、いくつかあるらしい。
先日私が聴いた落語では、
嘘を教えられた和尚が小僧に「人をだまして恥ずかしいと思わないのか」と叱ったところてんしきをおならのことだと嘘をついた小僧は「そんなこと屁でもありません」と答える。
「おなら」の話だけに「屁」と言って落とす。というわけである。
別のオチとしては、
医者が和尚に「寺では〝てんしき〟を〝盃〟のことをいうのですか?」と確認すると、和尚が「度が過ぎると、ブーブー文句を言う奴が出ます」と言って落とすというもの。
このオチは切れがいまひとつという評判もあるらしい。
調べてみると他にもいくつかあるらしい。
医者が和尚に「寺ではいつから〝盃〟を〝てんしき〟というのか」と尋ねると、和尚が「なら・〝へー〟あん(奈良・平安)の頃から」と答えるというもの。
和尚が小僧に騙されたことに気づいて「どうりで〝臭い〟話だと思った」とつぶやくもの。
和尚が「(おならのにおいで鼻をつまむことと盃のおつまみを掛けて)どちらも〝つまみ〟が要りますな」と洒落を言うもの。
ほかにもあるのかもしれないが、話し手がどんなオチにするのかも落語の楽しみ方のひとつと言えそう。